TDLとはどういうところか

子供の喜びは親の喜びである。
子供が喜ぶようなことに、親は価値があると考え、その喜びが得られるならば、それに妥当と思われる程度の金額を支払う。
ディズニーという人が作ったキャラクター達は、給料をもらうことで、愛想良く、利他的で夢や希望に向かって前向きに努力することを奨励するようなそういう方向性を子供達に与える、博愛主義者としてTDLに闊歩する。


現実の人間関係はディズニーキャラクターのようには行かない。子供の世界でもそれは同じである。幼稚園であろうと小学校であろうと、自己保存のためか、虚栄のためか、自己中心的な意図同士は対立し、必ず不和と祖語と反発が発生し、個人同士の喧嘩、あるいはいじめというものが生じる。そうした中で、如何に身を処すのが、自分を守ることになるのか、もしくはある程度自分の意図を生かしながら周りと対立しないにはどうしたらいいのか、というようなことを、子供は学んでいくのである。

そうした現実の人間関係は必ずしも楽しいばかりでなく、わずらわしく、不愉快なこともある。けれども、それから逃げて、ディズニーキャラクター達こそが正しい世界の住人で、そちらにずっと居たい、と思うようでは困る。

一時的な休憩、安楽な気持ちで、異邦人として、観光目的で過ごすのなら、そうした安易な世界に浸るのもいいだろう。けれど、TDLが目標とすべき世界、正しい世界という印象を子供に与えるならば、それは歓迎すべき事態ではないように思う。