2-9 ちゃんとしないと

id:kabalah:20060518#p4
の続きで。自分はネクラでちゃんとしようとしている。

2-9 なぜ勉強しなくちゃいけないのか?
ぼく:そもそも勉強って、なんでしなくちゃいけないの?
ペネトレ:そりゃあもちろん、遊ぶためさ。将来、より楽しく、より深く、人生を遊びきるために、いま勉強しておくことが必要なんだ。人生全体を考えに入れたとき、いちばんよく遊べるために、いま勉強しておくのさ。
ぼく:遊ぶためだけなら、勉強なんかぜんぜんしなくたって、じゅうぶん楽しく遊べるんじゃないかなあ。それに、どうせ遊ぶためなら、将来遊ぶより、いま遊んじゃったほうが、ずっといいじゃん?
ペネトレ:まえに、ちゃんとした人とどうしようもないやつの区別をしたの、覚えてる?(→1-3)ちゃんとした人っていうのは、自分の未来のために自分の現在を犠牲にできる人のことなんだ。逆に、自分の現在のために自分の未来を犠牲にしちゃうのがどうしようもないやつさ。ついでにいえば、他人のために自分を犠牲にできるのが善人で、自分のために他人を犠牲にしちゃうのが悪人なんだけど、善人や悪人になれるのはね、ちゃんとした人だけなんだよ。どうしようもないやつは、ちゃんとした悪人にさえなれないんだよ!
ぼく:でもたしか、ネクラかネアカかって区別のほうがもっとだいじだって、言ってなかったっけ?
ペネトレ:そう、それが言いたかったんだよ。ネクラな人や下品な人がちゃんとした人になるにはね、なにか人生全体に対する理想のようなものが必要なんだな。そういうものをどこかから借りてきて、その理想の観点から見て、いまやっていることに意味があるんだって、自分に言い聞かせなくちゃならないんだ。ネアカな人や上品な人はちがうよ。そんなものなしに、未来の遊びのための準備それ自体を、現在の遊びにしちゃうことができるんだよ。他人のための奉仕それ自体を、自分の娯楽にしちゃうことだってできるさ。

ちゃんとしているってのは大事なことだと思う。しかし、現在犠牲にした時間が必ずしも未来の有意義な時間となって帰ってくるかどうかはわからない。本当に必要な犠牲なのかどうかの、慎重な見極めが必要だ。
ネクラな私が本当にちゃんとするための、私を説得してくれる、「理想のようなもの」がいまのこの世の中にはない。どこから借りてくればいいのだろうか。