シュプレヒコールの波

早朝、未明といっても良い時間に、担当患者の心肺停止にてコールがある。
DNRが取ってあるわけでなく、癌末期というわけでもないので、当直医に型どおりの蘇生をお願いするが、私が到着するまでの20分の間常にすでに心電図はフラットなままだ。
これまでの経過からは、死因を理解することが困難な、突然死。
こちら側が釈然としないのだから、当然家族はその死を受け入れがたい、納得しづらい。
それでも起こってしまったことは仕方なく、原因不明であるが、予測不可能な事態であり、現在までの病状や、予測しうる死に繋がるような病態に対しては、すべて可能な限りの対処をしてきた旨を説明し、受け入れてもらうしかない。
こういう場合の説明が一番、心苦しく、また神経を使う。治療目標と異なる治療結果としての、最たるものとであるところの、死が訪れたわけで、遺族が医療不信の側から物事を捉えていくのは避けられない。そうした中、それが如何に偶発的なものであったか、予測不可能なものであったか、判明していた病態と、予測可能な事態に対しては、如何にきちんとした治療を行っていたかを、十分に説明する必要がある。
死因を推測する上での更なる情報を得たいならば、病理解剖をするしかないわけだが、死因が分かったところで死亡した本人の命が戻ってくるわけではない。それでも、医療側になんらかの過失があったかどうかを判定するには、より正確な死因とそれまで行われてきた医療との因果関係の把握が必要となる。
結局家族は、それらの説明をすべて理解した上で、病理解剖を希望しなかった。

長時間の説明の後、死亡診断書2通、退院サマリー、退院指示書のいわゆる死亡退院3点セットを作成する。

遺族との対面時間が終われば、体内に留置された胸腔ドレーンやダブルルーメンカテーテル、環流ポートなどを切除し、それらの開口部のナートをしていく。
白んでいく空に、もうすぐ朝食を取らねばならないことを意識し、死後3時間にて漂い始めた死臭が、自分の白衣に移ることを少し厭いながら作業を続ける。
死体であるから当然なのだが、無麻酔でナートを行っている自分の横で、「ちょっと失礼しますよ」などと死体に声をかけながら清拭していく看護士たちにわずかに違和感を感じながら、それでも、部屋を出るときは、その死体に向かって「おつかれさまでした」とつぶやいた。いま、もうそこにはいないその方に、闘病生活お疲れ様でした、という黙祷をささげたということだと、自分の行動の意味を捉えている。